リースバック不動産、悲しき超高齢社会日本の縮図!

田舎道をとぼとぼ。寂寥感がひしひしと。

不動産を見に行った。
都心から急行で2時間弱。
茨城県の田舎。
リースバック物件で、数ヶ月前に一度購入証明を出したが、物件を見ずに決めた。それは私なりの原則に反していたため、振込前に取り下げた。
今回、売価が7%ぐらい下がったので、再度オファーが来た。
利回りがよくなり(具体的には、私の基準値の5年利回り50%超え)、安全圏になったので物件を見に行った。
もっと強烈な指値を入れるのが当たり前のようだが、私レベルでは物件も回ってこないし、指値も聞いてもらえないので、出口を考えた最低限の基準ということにいまはしている。
どんな人が住んでいるのかは、不動産会社の開示レベルによるのでわからないが、老人とその子どもたちというプロフィールである。老老介護の可能性が高い。超高齢社会日本の縮図だ。他人事ではない。

立派な田舎の家だった。
相当の借金をしたことが想像できる。それがリースバックにつながった可能性は高い。
リースバックは、不動産を売却して以降も、賃貸として住み続けることができる仕組み。
近所には不動産を売ったことがまずわからない。
外から見る限りまだ家が傷んでいないので、リースバックの家賃の継続性は高そうだ。賃料はおそらく老人の年金から支払われるのではないだろうか?もう若くはない子供は独身のままで、ひよっとしてニートではないか?いろいろ妄想も含めて思い浮かんでくる。
まず都心からの距離に辟易した。車だと2時間もかかならないようだが、今後、退去後のことまで考えると、電車で行ってみることがロケハンのポイント。
幸い駅から徒歩圏。頭の中では、周辺に観光地もないわけではないので、民泊も視野に入れていた。

駅から国道を渡りあぜ道のような街道を歩いていくと、畑と田んぼと集落が見えてくる。小道の街道沿いには商店も数件あったようだが、いまは廃墟となって売り物件となっている。
広い敷地に新しい家屋がそびえる家もある。茨城県、北関東らしい田舎だ。どっちつかずの田舎の風景。観光資源にはなりそうにもない。
買う気はかなり失せていた。
集落の人間関係の濃密さが、空気となってまといつくような気がした。
もし購入して、出口で次の購入者が現れなかったら、この濃密さを外部から継続的に引き受けなければならない。
住むわけではないからいいとはならないほど、その濃密さは重いと感じた。
数ヶ月売れなかったのは、この空気感もあると思う。
数字はたいしたことはないが、揃っている。修繕費がかかることも、家賃の滞納もないだろう。だが、直接引き受けてまったく会うことがないとはいえ、家賃のやり取りをすることを考えると、私には無理だと思えた。
だいたいこれから海外移住予定である。もしなにかあったときに対応ができない。管理を不動産会社にまかせることもできるが、最終のリスクに責任を持てない。
リースバック物件は、田舎の濃密な人間関係に加えて、どうしても借り手の怨念のようなものを感じてしまうことが、現物をみてわかった。
もちろん考えすぎだろう。
だが金融スキームには見えてこない情念が人間にはある。
リースバックはその性質として(家賃をおさえるため)、実態より相当安く買い叩かれているはずである。不動産を売ったことも買ったこともない人にとって、適正価格などわからないし、地価を調べてみることもないだろう。
なにより家を売って住み替えることが苦痛なのである。
もうどこにも行かず静かにいままでどおりすごしたいという元所有者の願望にリースバックが沿っているのはわかっている。
だが自己所有の不動産だからこそ、愛情をもって扱うことができる。身も知らぬ他人に支配された不動産に(江戸時代は当たり前だったが)愛着はないだろう。
少なくとも大家に感謝よりは憎しみを潜在的には抱いていても不思議はない。
重要なのは、何をもっているか、もっていないかではない。何を失うことを恐れているかだ。
そういう怨念である。

晩秋の夕日に浮かぶ田舎の景色は、ノワール映画の1シーンのようで、乾いた底知れない恐ろしさと空虚さをたたえていた。
やはり来てみないとわからない。おそらく私の過剰感覚だろうが、リースバックの暗い空気感は、現物を見て初めてわかった体験である。
事故物件やリースバックはちょっと無理かもしれないという心理的に弱い自分を発見して、改めて不動産投資には向いていないと思った。

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