農業の未来がない未来は、絶対受け入れてはいけない!EXPOにて②

若い世代の農業就農を積極的にビジネスとして展開するマイナビはコロナでブース展示を取りやめた

以前も取り上げた長沼伸一郎の「現代経済学の直感的方法」。その第2章、「農業経済学はなぜ敗退するのか」に農業が経済的に勝てない理由が書いてある。
農業は生きていくためには必須の産業だが、資本主義の投資の観点からは効果が低い。
投資を増やして収量を2倍にしたとしても、消費者の食べる量は2倍にはならない。
価格弾力性も限界がある。
リターンに限界がある限り、投資では他の産業に負けてしまう。
生存に関わる産業なだけに、マーケット投入量のコントロールでの価格政策にも限界がある。
そんなことをしたら世間から反感を買って、厳しい糾弾を受ける。
だが、現実の世界貿易では食糧が政治的な戦略物資として使われている。
米中対立にあっても中国の米国からの食料輸入はやまない。中国の食糧事情がそれだけ悪いことの傍証といわれる。
食糧危機の予感の気配をそこに感じている。

次世代農業EXPOの会場で気になったことがある。
ほとんどの展示が、収量増産と効率化に収斂していたことだ。
ある農業経営のコンサルティング会社の展示。この会社は事業計画策定とか、公的金融機からの融資への書類作成、農地獲得からハウス建設などをサポートするという。
なるほど手頃な価格で農業参入を手伝ってくれるという話は魅力的だった。
私は聞いた。
「出口はどんなサポートをしてくれるのですか?」
「それは経営者の方にがんばっていただきながら、お手伝いできるところはお手伝いしていくというかたちです」
結局、最も重要な収益部分はいまの流行りでいえば「自助」だという。
実務コンサルで出口戦略か少なくともマーケットチャネルの紹介ぐらいは必要だろう。
その話で魅力は失せた。

先進国の農業は補助金で保護される産業なのだ。
産業ではなく国民の生存に関わる公益事業に近いと感じた。マーケティングの必要のない世界なのだ。
農産品のほとんどを農協が引き受ける超寡占が実態だろう。
マーケティングはその先の商業の役割だった。
産業としての可能性はある意味、誤解だった。
雑誌や単行本などで農業法人や事業化の可能性が喧伝されているが、プロパガンダに近いものだと実感した。
ごく一部の意識の高い農業事業家のレアケースだった。
官僚の実績づくりと補助金にむらがる周辺事業。
洗練されたスマート農業が投資として見合うということはまずありえないだろう。
オランダからドイツへの野菜輸出などのように、地続きでの輸送条件での輸出でもない限り。
島国の日本にどんなにハイテクも投資効果は期待できない。

あえて投資の有用性を考えると、6次産品などではなく(単独ではマーケティングの持続が難しすぎる)、もっと補助金をねらえる構造にすること、個人が高付加価値(高額)の産品を算出すること、マーケットを自己コントロールすること、他の要素と組み合わせることで複合的に儲けを生み出すこと。
そんなところだ。他の要素との組み合わせはもっともとっつきやすい。
流行りのキャンピングと産地の組み合わせとか。最近、道の駅にホテル建設が流行るのもそうした発想だろう。
もっと確実なのは福祉のための補助金を引いてきて農業と組み合わせる戦術だが、今回は見当たらなかった。場が違うのかもしれない。
実は個別に紹介したいすばらしい展示もたくさんあった。折をみて紹介していこうと思う。
だが、正直に感想を書くことが気持ちでは優先してしまった。

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