サイトにアクセスできなくなって、途方に暮れて

このWORDPRESSの自分のサイトにアクセスできなくなった。
家ではNUROの光を使っている。他のサイトは問題なくアクセスできる。UPもDOWNも130Mbps以上はでている。
サーバーの管理会社に連絡しているが、以前はすぐに応答してくれたのに、今回はまだ連絡がない。2日目になる。
厄介なのは、自宅だけがアクセス不可になっていることだ。その証拠に、スマホのLTEからアクセスすると、問題なくこのサイトも見ることができる。
なのでアップもスマホのLTEを使ってやってみる。

アクセスできないことが気になって他のことが手につかない。
おおらかな性格と自己分析していたが、小さいことにこだわる性格なのだと改めてわかった。
もう一つ気になっているのは、マレーシアがまたロックダウンに入ったことだ。12月にクアラルンプール渡航を考えているのに、空港で拒否られたらどうしよう。
クアラルンプールの空港まで行き着けばいい。搭乗で拒否られたら困る。
年内にはどうしても日本を離れておきたい。
「stranded」(外国で足止めされているの意)なビザホルダーに対して登録するサイトがあったのだが、それもマレーシア大使館のサイトから消えている。
ずいぶん前に登録したが、リターンのメールというのはない。許可のようなものがあるのだろうか?情報が少なくてわからない。
GACKTはいま日本にいるのだろうか?マレーシアに戻れたのだろうか?
大使館の電話は留守電で、何度かけても誰も出ない。紛らわしいことに、マレーシアにある日本大使館の電話番号は03から始まるので、日本大使館なら言葉の上でもマシだろうと思いかけてみて「この番号は使われていません」となって、初めて局番が同じだとわかる。

こうした堂々巡りは、一人で活動するゆえに起きることだ。ハラリの著作を待つまでもなくサピエンスは集団でこそ力を発揮するので、一人で手続きに立ち向かうのには少し恐怖を感じる。
SNSにはサピエンスの本能に根差した中毒性がある。それをわかって最初からやっていたとしたら、GAFAは相当の連中だ。
シリコンバレーは数百キロにわたって地価が東京の超一等地並みの価格で(もっとか?)高止まりしたままだというが、資本主義における付加価値は地価にも当然反映する。車で移動すること前提(近い将来は自動運転)、強力なインターネット接続環境、世界中からの富の集中が、不動産の未来を予見させる。
日本でも大型店ができるとその周辺の地価が上がるというのがあった。半沢直樹では、悪徳大臣の錬金術で空港周辺の土地買い占めがネタに使われた。
だがこの21世記、シリコンバレーの不動産のように、付加価値が土地や建物など物理的存在とは限らないことを示唆している。はたして日本にそれがあるか?アニメの聖地は不動産価格が高騰しているか?米中の戦いは世代違いの付加価値同士の争いのような気がしてならない。日本はもしかするとすでに中国よりも旧世代に追いやられてしまっているかもしれない。

いま東京都心のバブルが始まったという見方が広がっている。
中古不動産の価格を見ると、東京だけ突出している。
都心の名だたる商業施設が閑古鳥がなく中、住宅、とくにマンション価格が上がっているのに違和感がある。たまに出社するのにも遠いのが耐えられない比較的裕福な層が買っているという説明がまことしやかになされている。
外国資本の大きな買いが入っているという報道もあった。だが外国資本という時、それは欧米資本のことだ。
バフェットが商社株を大量害した時もそうだ。
外国資本=欧米の投資決定は盲信的に肯定する癖が、日本のマスコミと市場感覚にはある。
電車もコロナ前の8割ぐらいの混雑ぶりとなっている。ラッシュアワーにはラッシュも出現しているだろう(7時台〜9時台には乗らないので推測)。少なくともガラガラだった車両に、お昼時でも満席になったりすることから推測してみても、そうだ。
土日の1泊旅行もGOTOの影響で宿が取れない状態になった。つい1ヶ月前はガラガラだった。

ほんの半年前の常識はすでに常識ではなくなっている。どうして変化が遅いのかと思っていた自分はもうそこにはいない。歳をとった証拠だ。WORDPRESSの不具合に手も足も出ないのが、まさに象徴だ。焦りはしないが、気にはなる。まったくわけがわからないという事態は若い時にはなかったことだ。いや違う。当時もネットワーク関係はまったくわけがわからなかった。ただ解決するまで取り組む根性が若い時にはあった。だがそれを解決しても、やがてもっと楽になる方法が編み出され、その知識はあっという間に古くなるというのを人生で学んだ。
じたばたしても意味がない。高速道路でどんなに追い越しても、渋滞時には到着時間にたいした差異はないのと同じである。そが知恵なのかどうかはわからない。経験則の多くは、自動化と同じだが、それは古びていく前兆でもあるのだ。
最初から途方に暮れたままなのと、後から途方に暮れるのと、だいたい同じだという思考になっている。
だが気にはなっている。諦めてみるけれど、本当は諦めていないというどっちつかずの状態。厄介ごとはなくなるものではないのだ。

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