イオンの大型ショッピングセンター“心地よい洗脳のいま”

日曜日、東京近郊、埼玉県のイオンのショッピングセンター。
郊外生活において、イオンの存在感が定着しているのがわかる。
コロナ禍でもショッピングセンターは混雑していた。
この日、埼玉県は初めて100人を超える感染者が出た。
だが、すでに誰もが感染には注意しているものの、恐れている様子はない。
ウイズコロナが定着している姿だ。
駐車場にはワゴンタイプの軽自動車とかSUVとかファミリーカーであふれている。都心のショッピングビルのように、ベントレーやフェラーリなどはもちろん、ベンツ、BMWなどもほとんどみかけない。

ちなみに中古で買えば、ベンツやBMWより日本車の高年式の軽自動車のほうが値段が高い。5年落ちのベンツのCタイプより3年落ちのジムニーのほうが中古市場では高額だろう。20年前のスカイラインGTRなら、ベンツの高年式のSクラスより高額に違いない。
近代経済学のサミュエルソンの教科書の冒頭に書かれていた「希少性」のマーケットメカニズムが働いているのだが、その結果は常識的なブランドの価格感から乖離している。
コロナ後価格は上がっているようだが、フル装備のドイツ車は、より高額なスバル車などに比べて新車での売出しははるかに高いのに、中古売価では負けてしまう。そのメカニズムは、いまだに理解できない。日本車の信頼性の問題、とくに電気系統だとクルマ系ユーチューバーが解説していたが、本当だろうか?イタリア車はともかく、ドイツ車に関してはディーラー車である限り、日本車と遜色ないと思う。月に数度しか乗らないドライバーだからそう思うのかもしれない。実はものすごく故障が多かったりして……。
ディーゼル以外はハイオクを入れなければならいので、維持費は高い。故障した時の部品も取り寄せに時間がかかったり、修理費が高額だというのはある。
マーケットメカニズムからすると、リゾートマンションと似て、メンテナンフィーの高さが、リセールバリューに影響しているのかもしれない。

イオンに話を戻すと、昔から不思議だったのだが、都心で軽自動車というのはあまりみかけない。都心こそ軽自動車でいいだろうと考えるが、そうではない。むしろ高級外車比率が高くなるが、同じ居住地で生活レベルが均質化する現象だろう。人は無意識に周辺事情を感知して、あるいはコミュニティでの日々のやり取りの中で、ゆるやかだが強制力の強い同調圧力に順応していくようだ。
昔から日本人の均質化については、いろいろな本が書かれてきた。多くはもっと自由をというスタンスで批評的な視点で書かれていたと思うが、それが日本人の生き方を変える要素になったとは到底思えない。
それどころか、無意識状態での洗脳はますます徹底しているように思われる。イオンショッピングセンターはその象徴的な存在だと感じた。2000年以前は大店法の規制の影響で、ほとんど超大型ショッピングセンターは存在しなかった。この20年でショッピングセンターは地方の消費の圧倒的中心地になった。地方都市の駅前は衰退した。地方はモータリゼーションと結びついたショッピングセンターによってつくり変えられた。いまや埼玉でも青森でもファッションも同じ、買うものも同じ、下手をすると食品まで同じである。海が近いところは地元の魚もあるだろうが、築地からわざわざもってきた魚が売られていたりする。
食肉は、よくて近郊の名産牛肉が入っているぐらいで、あとはオーストラリアだとかアメリカだとか輸入された商品も含めて、似たような品揃えの棚が全国一律で並ぶ。関西の食文化である恵方巻きが2月になるといっせいに店頭に並ぶのは大いに違和感があった。セブンーイレブンの影響も大きいが、それが数年すると定着してしまった。

そして10月といえば、ハロウィンである。クリスチャンでも、プロテスタントでもない日本人の若者が、渋谷のスクランブル交差点に集まり馬鹿騒ぎをすることでニュースになり、それを商売にした連中から伝播して、あっという間に日本人のイベントとして定着してしまった。
商売人はいつもイベントになる企画を探しているし、おそらくしかけても外れることが多いのだろうが、すでにバレンタインデーを越えて、クリスマスや正月にせまるイベントになっている。ディズニーはすでにそれを好きか嫌いかという批評眼を受けつけない存在となっているが、ハロウィンもそうしたコードに近い存在として定着していきそうである。
そんなことを写真のダイソーの店頭のハロウィンディスプレーを見て考えた。
郊外生活が均質化し、子供時代の記憶が、ディズニーやハロウィンに支配されるとき、マクドナルドが子供時代の思い出の味になるとき、巨大な洗脳が完成していく。
それはすごいことだと思った。誰もがそれを心地いいことと受け入れて、なにもあえてそれを取り払うことはないのだから、洗練された洗脳だ。
いや、洗脳などと大上段に語る必要もないかもしれない。人びとは意識的に選択している結果である。それしか選択できないのではなく、誰もが自由に意識して選択している。そこがすごいところだ。SNSになってこの洗脳のパワーは増している。オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」がもはや現実だ。心地よいから、変わらなくていいという環境に、日本はいち早く到達している。面倒を削ぎ落とすことは支持され、苦痛は隠される。
イオンのショッピングセンターはなんとなく寒々しい感じがするが(個人的にですよ)、アメリカの本家本元の巨大ショッピングセンターが衰退し消滅する中で、郊外を牛耳って恐るべき集客パワーを発揮していることに、ちょっとデストピアもののSFの一場面を見ているような気になってしまうのは、自分がもう歳をとった証拠なのだろう。

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