遅ればせながら「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を見た話

雑誌「スクリーン」のなかでヒッピーの男は笑っていた。
チャールズ・マンソンの最初の記憶=裁判を報じる映画雑誌の記事だった。
1969年8月9日の夜、マンソン・ファミリーの4人のメンバーは、映画監督のロマン・ポランスキーのビヴァリー・ヒルズの邸宅を襲撃した。
妻であるシャロン・テートと客の4人が惨殺された。
その2日後、今度は実業家リーノ・ラビアンカと妻のローズマリーがバラバラに切り刻まれた。
マンソンは、ビートルズの「ヘルター・スケルター」に触発されて、殺人教唆に及んだ。
殺人はメンバーに実行させた。


Amazonビデオにラインナップされたので、クエンティン・タランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」をやっと見ることができた。
数々の符合で興味の尽きない素材を、タランティーノが映画にしたのは昨年来認識していたが、ロードショーでは見逃した。
マンソンの事件は大いに耳目は引くが、むしろロマン・ポランスキーのほうに悪魔的連鎖があると思った。

ポランスキーは1968年「ローズマリーの赤ちゃん」で悪魔崇拝の映画を撮った。
撮影はニューヨークのダコタ・ハウス。
セントラルパークに面したその高級住宅の入口で、1980年12月8日、マーク・チャップマンに銃殺された。
「ローズマリーの赤ちゃん」は主人公のローズマリーが悪魔に犯されて、悪魔の子供を宿す映画である。
チャールズ・マンソンは、ビートルズの「ヘルタースケルター」に触発されて、悪魔崇拝を説いた。
原作は、アイラ・レヴィン。ポランスキーと同じくユダヤ人。ブラジルに密かに持ち出された遺伝子からヒトラーとなる子供を作り出す陰謀を描いた小説「ブラジルから来た少年」などがある。


タランティーノの映画は、有名な事件に向かって、史実をなぞるように淡々と進んでいく。
抜けるような空。どこか不気味でカラフルな町並み。陽気でスタイルのいいカリフォルニア・ガール。ハイウエイのスポーツカー。トロピカルカクテル。プール。ハリウッドの映画セットとブラウン管のテレビ。
レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットの2大スターの共演。
ブルース・リーがポランスキー邸に出入りしていて、カンフーを教えいていたエピソードなども出てくる。
ブルース・リーは危うく難を逃れた。殺害日にポランスキー邸に招待されていたらしい。
タランティーノの映画にしては、静かで、地味な進行だ。2時間41分の長尺。
クライマックスは、こうくるか〜の、どんでん返し。


ネットフィリックスでデヴィット・フィンチャーが監督した「マインドハンター」の原作に、原作者がFBI分析官としてチャールズ・マンソンとの面会記録が記載されている(以下、書籍「マインドハンター」引用)。
「チャーリーは邪悪な宗教的指導者になろうとしたのではなかった。目的は名声と財産だった」
狂信的カルトの指導者がゲスな世俗利益主義者というのはよくあるパターンだ。
「サンフランシスコへ来てみると、純真で理想主義的で、人生の目的のない若者が大勢いて、彼らはチャーリーの人生経験と、彼が示すうわべの英知を尊敬した」
「チャールズ・マンソンの目は底知れぬ光をおび、すべてを見通すようで、狂気じみ、そして催眠的だった」
洗脳にLSDが使われた。映画でもそうだが、マンソン・ファミリーはほとんどが女性。
「彼らの多くは、とくに女性は、父親との間がうまくいってなかった」
閉鎖的なコミューン。オウム事件との構造的類似性はいうまでもない。


事件の夜、ポランスキーは出かけていて難を逃れた。
その後も「チャイナタウン」や「戦場のピアニスト」など、いまも映画監督としての評価の高い映画を作り続けている。
現在、87歳。母親はアウシュビッツで妊娠中に虐殺されたという。
そのイメージに囚われた人生がどのようなものになるのだろうか。
シャロン・テートは妊娠中だった。
映画監督としての揺るぎない名声の一方で、1977年13歳の子役モデルに強姦とアナルセックスの嫌疑で逮捕された。
その後、再収監を恐れてヨーロッパに逃亡。アメリカに入国しないまま、映画を取り続けている。
「テス」を通じてのつきあいのナスターシャ・キンスキー(クラウンス・キンスキーの娘)とは15歳から性的関係にあったという。
その後metoo運動などもあり、複数の有名女優が幼児性愛の犠牲になったと証言している。
タランティーノが設定した最後のシーンは意味深だ。それはタランティーノの夢か悪夢か?オマージュか?

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